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* category: コンサート、演劇

ベルリン国立歌劇場『トリスタンとイゾルデ』(1008) 

2007.10.10
Wed
00:34

 猫(ちょっと)とごはん(たくさん)を基本に、というのは変わらないのですが、せっかくだからコンサートや展覧会のメモもしてしまおう、と思い立ちました。というわけで新カテゴリ「コンサート」を追加です。

 若かりし頃には
「なんでもかんでも歌ってるのって、変」
という思い込みがあって、興味がなかったオペラ。でも考えてみたら、もっと若かった(つまり小学生くらい)頃には、同居だったおばが持っていたオペラ名曲集のレコードをよく聴き、おかげで『カルメン』の代表曲や『魔笛』の「パパゲーノの歌」などは日本語訳で覚えていたオペラ。
 
 でも聴いてみようかな、見てみようかな、と思いはじめたきっかけになった作品を、ようやく昨日生で鑑賞することができました。わたしにとっては11作目のオペラ鑑賞で、ワーグナー作品としては『タンホイザー』(バイエルン国立歌劇場2005年来日公演)、『ラインの黄金』(2006年、バイエルン国立歌劇場にて)に続く3作目です。

[ベルリン国立歌劇場日本公演]
『トリスタンとイゾルデ』
 ダニエル・バレンボイム指揮、ハリー・クプファー演出
 2007年10月8日、神奈川県民ホール、座席は一階10列31。
 開演15時、三幕+二回の休憩(合計70分)で終演18時35分過ぎでした。なんと鑑賞時間が200分です。休日出勤の仕事後だしうとうとしてしまうかなあ、でもまあすこし寝てしまったってどうせ同じようなこと歌ってるしさ、なんて思っていましたが、杞憂でありました。

 第一幕への前奏曲すべりだし、「憧憬の動機」は、ん? ちょっとすべった? と思ったのですが、和音へと続くと、厚みのある音楽に包まれました。前奏曲の間にほんのしばらくだけ緞帳があがり、さらに下りていた薄いとばり越しに、舞台中央に設置された小山のようなものと、その周辺あるいは小山に腰を下ろしてうつむく登場人物たちが透けて見え、迫りくる悲劇の予兆となると、いやがおうにも期待をかきたてられます。

 プログラムやチラシで上演風景を何度か見て、なんか溶岩が固まったような足場の悪い斜面にいるみたいだな、でも羽のようにも見えるなと思っていた「装置」は、じつは地面に倒れ伏して嘆いているかのような巨大な有翼人の上半身でした。一対の羽根はアンバランスにひろがり、右翼の端から左翼の端へと下降する坂のようになっています。また、左半身にあたる部分がただれたように崩れています。両腕で上半身を支える格好になっているので首~胸の下にあたる部分に空間ができます。頭部はつるりとした球体。この装置が全幕を通して舞台中央に座し、あるときには回転して違う表情を見せます。

 この装置こそだ! と思った瞬間が二回あります。
 まず、第一幕のラスト。媚薬の力で固く結ばれてしまったトリスタンとイゾルデ、ふたりを乗せた船はマルケ王(トリスタンの叔父にして君主、イゾルデの夫となる人物)の待つコーンウォールの港に入港したというのに、ただただ互いしか目に入らず、抱き合い、横たわっている。それを引き離すべく虚しく努力するイゾルデの侍女ブランゲーネとトリスタンの家臣クルヴェナル、でもふたりは離れない、マルケ王みずから迎えにやってくる、どうなる?
 の、緊迫した幕切れちょうどそのときに、有翼人の背中(つまり小山の頂点)にマルケ王(ルネ・パペ)が姿を現すのです。しかも非常に姿がいい。わあっ。
 で、第一幕終了。

 そして第三幕、最後の最後。トリスタンは自分の目の前で息を引き取ってしまった。ブランゲーネから事情を聞き、ふたりに許しを与えようと追ってきたマルケ王と一行の動向も、密告者メーロトと相討ちのようにして忠臣クルヴェナルが死んだことも、なつかしいはずのブランゲーネの声もイゾルデの耳には入らない。
 ここから「イゾルデの愛の死」と呼ばれる独唱が始まり、その終わりとともに楽劇全体が幕をおろすのですが、イゾルデが舞台前方に立って歌い続けるうちにゆっくりと「装置」はトリスタンの遺体とそのそばで苦悩するマルケ王、遺体の近くまでにじりよって死を迎えたクルヴェナル、イゾルデを迎えに来たはずのブランゲーネなどを乗せて回転していく。そしてすっかり遠ざかる。
 イゾルデが没入していく忘我の世界はただひとりの妄念の世界、彼岸の幸福などではないというクプファーの意図が伝わってきて、イゾルデを演じるワルトラウト・マイヤーの熱演ともあいまって胸が熱くなりました。これも、舞台正面で見ていたわたしには、ちょうど最後の音が発されるとき、「装置」である有翼人の翼のあいだにイゾルデの頭部がきっちりはまったように見え、一枚の絵として震えるような完成度の高さでした。

 すばらしい、と思ったのはまずルネ・パペ演じるマルケ王。重厚で威厳があり、たたずまいにも説得力がありました。じつは第二幕でふたりの関係を知ってしまったマルケ王の嘆きの最中に舞台の外から奇声があがり、最初はマルケ王の魂の叫び(え、えんしゅつで)かと思ったのですが、二度目になるに及んでなにかおかしいと思いました。結局、三幕開始前に、病気の観客があげた声であり、当人はすでに退席したというアナウンスがありました。

 そしてミシェル・デ・ヤングのブランゲーネ。ゆたかな声量、美しい声質で舞台を支えました。

 主役のふたりにはとにかく「お疲れさまでした」と言いたいです。とくにトリスタンは瀕死の状態で何十分も歌い続けなければならず(笑)、この役を演じることができる歌手そのものが希有と呼ばれているそうですが、クリスティアン・フランツは最初のほうはちょっとセーブしてるかなルックスも含めて残念と思っていたけれども第三幕で魅せてくれました。
 そしてワルトラウト・マイヤーのイゾルデ! やはり最後の「愛の死」が圧巻でした。

 カーテンコールの際には、オーケストラボックスからいち早く抜けた楽団員たちが指揮者バレンボイムとともに舞台上に上がって拍手を受けました。土曜日の『ドン・ジョヴァンニ』楽日のときと比べるとバレンボイムの表情が厳しく見え、あんまり満足していないのかと思いましたが、最後に緞帳の前にひとりで出てきたときには笑顔もあり、ふと手を振ったりも。
 音楽はただ「聴く」のが好きなだけで、いろいろと書くこともできませんが、オーケストラもすばらしかった。満足です。 

 カーテンコールを終えて外に出るともう午後9時近く。自宅に直帰してもいいのですが、せっかくだから夕食は外でという予定を立てていました。ごはんについてはまた別の項目で。
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