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* category: 展覧会

『川合玉堂-日本のふるさと・日本のこころ-』ブロガー内覧会に行ってきました(1)。  

2013.06.23
Sun
14:11

 古今東西の美術への深い愛に溢れるブログ「弐代目 青い日記帳」(リンクはこちら)のtakさんが山種美術館(こちらです)と組んで企画してくださったブロガー内覧会に参加してきました。
 ・館長によるギャラリートーク
 ・takさんトーク
 ・展覧会に合わせた上生菓子をひとつ
 ・写真撮影OK、しかも作品単体でもOK。展覧会の紹介を目的とした記事内ならばウェブでのアップOK。
 このタッグマッチで開催されたイベントへの参加は、「竹内栖鳳-京都画壇の画家たち」展(記事はこちらこちら)に次いで二回目です。takさん、山種美術館のみなさま、すばらしい機会をありがとうございました。

2013gd1.jpg

 さて、今回主役の川合玉堂。名前はもちろん知っていますし、ぼんやりと好意は抱いていました。
 ・山里の絵だったっけ
 ・山家から煙がたちのぼっているような…。
 ・その山里にいる人物がなんだか愛らしい
ぐらいのイメージです。えーと、縦長で山家で緑が効いてて…。残念、画像検索では「これだ」というのがありませんでした。自分の心の中にだけあるのかもね。
 そういう状態でしたから、今回のブロガー内覧会も行くっきゃないよね! と、カメラ二台をバッグに入れて行ってきました。撮り比べしてみようかと思って。

・・・・・・

 玉堂は山種美術館とゆかりの深い画家であったそうです。館長の祖父にあたる山種美術館創始者・山崎(「崎」は別の字なのですが文字化けを防ぐためこちらで)種二との親交が深く、ふたりの書簡も展示されていました。山種美術館所蔵の玉堂作品、じつに七十点。今回は途中の展示換えをへてその全点が紹介されます。

 ここで川合玉堂についてメモ。
・愛知生まれ、1873-1957。京都で望月玉泉(15歳で弟子入り)、幸野楳嶺(ばいれい)を師とし、1898年には橋本雅邦の作品に衝撃を受け、妻子をともなって上京し師事。「山村や田園の自然と生活を日本的な情感をこめて描いた」(図録p.104)。
・8歳で岐阜に転居。

2013gd18.jpg
「鵜飼」昭和23年頃より、部分。
 鵜飼は玉堂得意の画題で、今回も京都時代の出世作(1895)、1939年の作、この1948年の作が展示されていました。

・東京では牛込に居を構えていたが空襲で焼け出されて奥多摩へ。終の住処とする。青梅には玉堂美術館がある。

・絵からもうかがえる優しい人柄。今度放送される『新日曜美術館』では意外な素顔? を伝えたいと現在も存命のお孫さんに話を聞いたりしたが、やはりそういう話しか出てこなかった。
 
 以下、展覧会の区分ごとに印象に残ったものなど。
〔第一章 研鑽の時代(青年期から壮年期へ)〕

 あたりまえですが、写生もうまい!
 こちらはわんこ。ころっとしていて愛らしい。
2013gd7.jpg
 写生帖『縮図写生』(1891年、明治24年頃。19歳)より。
 あ、でも右ページの子たちはちびの割に足がすらっと長すぎるように思います。そういう品種かな。

2013gd8.jpg
 図録には掲載されていない写生。「写生入り玉堂筆書簡」(参考出品)。香港赴任中の娘婿に、生まれた子(玉堂にとっては孫)の写生を描き送ったもの。

・「行く春 小下絵」(1916年、大正5年) (玉堂美術館蔵)部分
2013gd9.jpg
「行く春」は東京国立近代美術館所蔵、重要文化財。このページで見ることができます。
 構図を決めるのに試行錯誤したあとがうかがえます。川船がこのように何枚かのカードになって、貼り付けられていました。

・「二日月」(1907年、明治40年)(東京国立近代美術館蔵)部分
2013gd10.jpg
 全体はこちらで見ることができます。
 ほそいほそい眉月から放たれる光に照らされた枝先。金で描かれています。

・おお、絢爛たる金屏風! と思ったのが「紅白梅」(1919年、大正8年)(玉堂美術館)部分
 好きな作品です。どうしても映り込んでしまうんだけど、それを逆手に取って遊んだ写真にすればよかったな。全体はこちらで見ることができます。
2013gd11.jpg
 鳥がかわいらしい。玉堂の出発点である丸山四条派の要素ということでした。

2013gd12.jpg
2013gd13.jpg
「紅白梅」の屏風というと思い出すのは尾形光琳のこちら。まばゆい金の地、たらしこみ技法など、もちろん玉堂も意識していたことでしょう。でも川はないし、玉堂の作品ではは白梅も存在感を持っている、という館長のコメントがありました。
 わたしは、枝が折り重なると背景となるほうの輪郭線まで切れる描き方が気になりました。ときおり接続を切っている、みたいな感じ。小鳥もかわいらしくのどかな一双なんだけど、たらしこみによる幹のもわっとした湿気とともに、この絵画世界に厚みというか深みを持たせているように思います。

〔第二章 玉堂とめぐる日本の原風景〕

・「春風春水」(1940年、昭和15年)
2013gd14.jpg
 気になる一枚でした。
 うーん、右下の黒要素が効いている。そして、右中央から左下へと流れる川の水と、左中央から右下方向に渡され船頭が引くロープ、そして船頭の体の張りが絵の下方にx型の動きをもたらしているのも、うららかだけれど水流はげしい春を表しているようで美しい。
2013gd15.jpg
 左下部分を撮ってみました。
 
・「雪志末木久湖畔」(1942年、昭和17年)
 なんで英語訳が"Lake in a Snowstorm"なんだ? と思ったら、「ゆきしまく」の「しまく」は「風巻く」、つまり風が吹き荒れるということだそうです。
2013gd24.jpg
 白くかき消されている左上部がすごいと思う。
2013gd25.jpg
 部分を大きくしてみました。
 河野元昭氏が玉堂は〔水分の多い日本の風景の微光表現が優れている〕と評したと館長が紹介してくださいましたが、水分の多さを空気の厚みとして描き出すことができる玉堂の手腕を感じます。

・「早乙女」(1945年、昭和20年)
2013gd16.jpg
 本展覧会のチラシ、そして図録表紙にも用いられている絵。
 たらしこみで描いた畦道が構図の決め手。早乙女たちも部分的に絵からはみだしている、世界のおおきさ。のどかな風景です。
2013gd17.jpg
 それぞれの表情も見どころ、という館長のお話から、人物をアップにしてみました。
 
〔第三章-玉堂のまなざし〕
 上で紹介したお孫さんの絵。書簡部分で、玉堂の手紙の美しい字に目を留めたかたもおいでかも。玉堂は
書を能くし、また14歳から俳句をはじめ和歌もたしなんで、82歳のときには宮中歌会始の召人もつとめたということです。

 絵と書のコラボレーションのほほえましい作品を。
・「氷上(スケート)」(1953年・昭和28年)
2013gd19.jpg
書「氷上」(1953年頃)
2013gd20.jpg
 自分では「リンク」「舞う」「手」…? としか読めないていたらくなので、図録から。
  もろ手ひろげ
  かたあしのみを
  氷上に
  リンクせましと
  舞ひすべり舞ふ

 その2に(ちょっとだけ)続きます。猫があるよ!
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